senjingaran5’s blog

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全再掲 グレイス 萩耿介 中公文庫

#1 グレイス 萩耿介 中公文庫 ただいま読書中 170812 4:25
夢を、いや夢でなく本を読んでいた。グレイス、たしかに似たような、いやただ怖ろしいというだけの夢はよく見る。人は何か知らないところで怖れをしまい込み生きているのだろうか? かってゴヤの絵を能の舞台で再現した夢を見たことがある。ある排管、巨大な半分くらい詰まってしまっている中に、なにか有機体の中に入り込んでいる夢。見たくて見る夢ではないが。家の外は初秋の青葉にそそぐ穏やかな光で明るい。-「絶望の淵というものかってまだ見たことがない底知れぬとか」- 昨日今日のことであろうか豊かな心で日々を過ごしたいと思ふようになつた。私は仏を踏みながら歩くことはしない、億光年の彼方の弥勒様に花を届ける。私の救いの一部か全部。ああ悪魔の本に酔っ払ふ。◇私のお酒 「体は 決して望んではいない。悪魔の水を飲む私かも」人は人化する、神化も、その怖れ。日常にどこか潜んでいるのか。  つづく    170812 4:25

 

#2 グレイス 萩耿介 中公文庫 ただいま読書中 170812 4:25
八月の中頃の続き 170903
グレイス  深き淵より
神について私は漠然と思つている、としか言いようがない。神社仏閣などは記憶にはある。だが実際には野面の隅の暗いところ、そんな所に神を普通に感じたりする。イエスの世界は数多く見聞きはするが私には遠い。けっきょく神を宇宙と思ふか、漠としたものとなる。
扨、人々は様々、好むと好まざるとに関わらず死を受け入れる。介護徘徊の、庭這いずり回る妻を焼却炉に押し込み、自分も伴に内側から施錠🔒して、祝杯であろうはずも無く酒を飲み🍶火を放つ。書物「グレイス」Graceとはまるっきり関係が無さそうだが、読者五月子は78歳も終わろうかと言う時になってようやく自分の作画の主題「存在と無」を会得できた。このことによって私は今、書物「グレイス」Graceを再読。なかば近くまで読み進めた。 つづく 

 

#3グレイス 萩耿介 中公文庫 ただいま読書中 170812 4:25

八月の中頃の続き 170903
グレイス  これより第四章 おくに 170909
第三章 深き淵よりを読み終えたが、梅原猛永劫回帰の講演を聴いたことがあっる、なにか楽しそうに話していたように記憶している。私の愚見だけど。人は様々に考える、いろいろと、あるいはややこしことはなにも考えないとも。グレイス、深き淵よりの最後のページに書かれた、生は一度。死とは断見。なお遠くを望む想い。くり返し私の愚見だけど。私がいてもいなくても富士山はあるし、なにもかも私自身も含めて一瞬のうちに思念の外に消してしまうこともできる。異次元の奔流を生きぬいて五郎太は「おくに」の章に。    つづく 

 

#4グレイス 萩耿介 中公文庫 ただいま読書中
これから 第4章 おくに
読み始める前にゴーギャンの絵画の作品のタイトルをここに記す。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
おくに、にかかり4・5・6ページ回想の中に命の闘いの世界を見る。次の展開 Good !

 

#5グレイス 萩耿介 中公文庫 ただいま読書中 170927
グレイス
読み終えた。最後の数行涙がにじむ。至福の情愛の衣が五郎太の身をおおふ。到達至難。人生でなかなか得がたいものです。永遠の眠り、存在と無の彼方へ。-私ごと- 私は79歳になって、ようやく情愛の衣とも言ってもいい-至福のある時、あるものを-手にしました。わたくし眠れます。ありがとう
     終はり 三名五月子 <千盡仙人 >